潤いについて、モッツァレラチーズをかじりながら考えたこと
日曜日の午前中NHKのとある番組を偶然見て。
XX県のクラフトビール工房の人の話。 震災のあとまもなく、地域で集まってどうにかこうにかお祭りを開催したとき、 クラフトビールの屋台に長い行列ができた。 そのとき、工房の人が「人生には潤いが必要なんだ」ということを 悟った、というエピソードがありました。わたしはこの話が好きです。 (細部の誤りはお許しください)
ビールは存在しなくたって生きていけるように人間の体はできている。 だが、ビールは「現に」求められ、世の中に力強く存在している。 それで多分、しばらくはなくなることはないでしょうね。
酒ー寿命を縮めるドラッグ
お話、お芝居ー単なる空想
音楽ー単なる音波
どれも生物学的には必要ないのでは? では、この世から消しても困りませんね... とはならないよね。なんでなんでしょう。なんかしらの脳内物質がどうのと ある程度説明することはできるんだとは思います。ですが、わたしが知りたいのはなぜそんな機能を人間が持たなければいけなかったのか、 ということです。ずっとこのことが不思議であり、面白いことだなと思っています。
自分にとって、潤いとなるものはなんなのだろうか。 やはり自分なりの「豊かな生活」のためには自分が何を好むのかを よく分析する必要があるようです。