お雑煮を作りながら考えたこと
正月だとかお花見だとか季節のお祭りにどうも気が進みません。嫌いではないです。なぜだろう。
なんでもいいから楽しむ場を求めている陽気な人たちの言い訳に使われているように 思えてしまうからだろうか。彼らと一緒にされたくない、というかっこつけたがるような感情は確実にあります。 また、あまりにも商業的に利用されすぎているので、思う壺にハマってしまうことへの嫌悪感があるようにも思います。
多分、一番決定的な要因は単純で、楽しめていないから、ですね。 現代人は季節の移り変わりを肴に一杯やるには、あまりにも幸せの感度が鈍り過ぎています。 子ども時代になかば無理やり地域のイベントに引っ張り出されたことで、「お祭り=>うんざり」 と学習してしまっていることも影響していますね。お祭りにいくより一人でゲームしている方が好きでした。
なんでこんなことを考えるに至ったかと言うと、コロナ禍で2020年は例年にもまして 早く終わってしまった気がしたことが発端です。何かを達成した記憶がまるでありません。 安直な結論づけですが、日常に緩急がないと何か1日1日がぼんやりしてしまうのかも知れません。
そのため、ここで一旦、安易に効率化・単純化を狙って省略するのは、考え直した方がよいのでは、 と思い始めています。思考を停止させている気がしました。 それに、大変だからやらない、無意味だからやらない、というのはお祭りへの言いがかりな気がします。 そもそもが、別に意味など無いのです。 軽視してきたからこそ、お祭りに関する知識もほとんどありません。わたしに「お祭り側」に歩み寄る姿勢自体がありませんでした。 忙しいからとか現代だからとかいうことで、無意識的に無知をごまかしてきた自分を見つけました。
ただ、こんなことを書いていたって、また日常に帰ったら忘れてしまうかもしれません。 ...うん、多分忘れます。季節のお祭りより、生きるためにまず頭に詰め込むべきことがあるというのも事実です。
ただ、意識的なレベルでは、季節のお祭りを無視してしまうことを辞めることにします。 お祭りは、大切な人と現在を、そして過去を噛みしめることが本質かとは思います。 極めて個人的なものとして、静かに式典やお祭りを実践していきたいです。