砂浜での宣言
息子と近所の砂浜に行きました。
行きました、というよりはいかざるを得ませんでした。休日は大抵そうです。先日2歳になった息子は、ベビーサークルの柵を超え、家中を縦横無尽に歩き回るようになりました。彼のありあまるエネルギーを発散させるためにはどうしても外で遊ぶしかありません。とにかく元気に、健康に成長してもらいたいのです。わたしはもともと散歩が好きなので、出かけることが苦になっているわけではないのですが、今日は終わっていない仕事が頭にちらつき、落ち着きませんでした。
海から吹き付ける風は強く、ダウンのコートを着ていても体が縮むような寒さを感じます。今日の海は濃緑色をしているようです。日によって海の色が変わっているようにみえることは、海辺に住んでからわかりました。風で波がたっているのが見えます。砂浜に着くと、見慣れないものが置いてありました。ものというには大きすぎるかも知れません。高さは数メートル、近くへよって見てみると門松だったりしめ縄だったりが円錐状に組まれた竹に縛り付けてあります。これが話にきく、「どんど焼き」、でしょうか。確証はありませんが、そういうことにします。周りには散歩中のおじさんから、海を撮影にきたカメラマンなどがぽつぽつとあらわれ、写真を撮っては竹のそばから離れていきます。
お正月という実態のないもののために、縁起の良いと勝手に決めつけているものを飾り、そして最後にはそれを焼いてしまう。なぜこんなことをするのでしょうか。無駄な行為ではないでしょうか、と考えることもできると思います。科学を知った人類が繰り返し繰り返し行うべき行為なのでしょうか・・・?
こんな考えが頭に湧くことがあります。ですが、わたしはこういった無駄を肯定する側につきます。面白がる側に立ちます。生きて死ぬこと自体が、意味など無いのですから。実質的な意味の無いことを否定し、削除する思想は、自分を殺すことに行き着くような気がします。うまくは言えませんが。そして、人類がこの先どういった形で進歩をするかわかりませんが、この事実は変わらないと思いたいです。
一番の問題点は強要なのです。望まない人に「お前も参加しろ、祝え」と強要すること。