ある休日、行き場のないうめき
これが子育てなんだ、俺もやったんだ、という方の話は聞きたくありません。
自己管理能力・自己責任という言葉を振りかざされても困ります。 そんなことはわかってはいます。まぁそんなことを言うような人はこんなところ見ていないと思いますが... あと、思っていてもどうもできないと思いますが... まぁなんの話かといいますと、
休日、子どもが目が醒ました途端、ああ今日が終わった、と絶望することありませんか。 朝8時とかのことです。カーテンを開けると日光が差し込み、鮮やかな青空が見える。何をしたって気持ちのいい日に、です。 わたしはよくあります。みなさん、どうですか。
今日もそうでした。仕方がないので、こういうときわたしはとりあえず片付けられるものを順番に片付けます。 ゴミ捨て、子どもの着替え、朝ゴハン、自分の着替え、朝ゴハン、机の周りの整頓、洗濯、掃除機をかける、風呂の掃除、コーヒー淹れて...
その間に今日をなんとか前向きに過ごせるアイディアが湧いてこないものかとじっくりと待ち続けます。 まぁ大抵はそうなんですが、今日もあまりいいアイディアは浮かびません。 このままでは「何をしても何にもならない」ような気分で頭がいっぱいになることは目に見えています。 なんとか変えないといけません。
こうなった時の次の策、本を買います。子どもがいると、ランニングをしてリフレッシュすることも、 どこかへ気軽にふらりと出かけるわけにはいかないのがわたしにはつらいです。肉体を使うことは頭を切り替える有効な手段なのですが。 今日は香山哲さんの「ベルリンうわの空」をkindleで買い、すぐに読み始めました。 本当に素晴らしい作品です。少しずつ希望が湧いてきました。生きていれば何かがあるかも知れない、という希望です。 以下、引用です。内容は書きません。
「僕はおまけシールやカードなどが大好きで古今東西、各国の「未知の良さ」を探し求めている・・・」
「誰かの気まぐれや自由意志でなんとなく発生したもの。そういうものに毎日の生活で十分触れていると、 僕の気持ちも自由になれる。」
学生の頃、わたしは数ヶ月留学生としてとしてマレーシアにいたことがありました。 他にも、これまでオーストリア、イタリア、ポルトガル、中国(北京)なんかにも行きました。 あるときは目的を持って、あるときは目的もなく。 ただただ生活しているだけなのに、目に入るあらゆるものが新鮮で...何しようが誰にも評価されていない 、比べられていないんだと思えた、あの開放感のことを想起しました。
娘を抱え、息子を自分の脇に座らせて、「ベルリン」を読みながらこの文章を書きはじめました。 息子には不本意ですがyoutubeを見ていてもらいます。
・・・色々な雑事のため、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も中断されます。 ですが定期的に自分の感情を文章にかかないと気が狂いそうになってしまいます。 諦めてはなりません・・・
昼頃、子ども2人を昼寝に導くことができました。 わたしも隣で30分ほど眠ってしまいましたが、なんとか起き上がってキーボードを叩き始めることができました。
こんなことをごちゃごちゃ言っていると、なんで子どもを生んだんだなど、無慈悲な言葉を浴びせられそうでとても怖いです。 自分も独身であれば、そう思ってしまうかも知れない、というのもまた怖いです。 怖いと言うか、頭の中では勝手に作られた仮想人々に罵られていて、実際に落ち込んでいます。 不思議ですね。なんでこんなこと考えなければいけないのでしょう。
「言葉ってのはいいものだよ!峠って言葉を見つけて、それをいったことでーーもう気が休まるんだ。おどろくべきだな、人間がまだ言葉を信じているとは。例えばだ、馬鹿と言われれば、なぐられなくても、しょんぼりする。利口といわれれば、金はもらえなくともーー満足するんだ」 ツルゲーネフ、「父と子」、工藤精一郎訳、新潮文庫, より引用